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自然

不動滝(ふどうだき)

不動滝 トランヴェール風 人物は岡田教授_R.JPG

上総地方にはたくさんの「不動滝」があり、ここは「田淵不動滝」と呼ばれています。滝の近くには不動明王を祀った「不動堂」があり、そこから命名されたようです。中世から近世にかけて養老川支流の流路短絡工事が農地整備の一環として行われ、流路を変えてかつての峡谷の断崖に流すようにしたものです。滝の落差は約15mです。滝の両側の崖には「白尾火山灰層」も見られ、地磁気逆転境界も観察できます。残念ながら現在の見学環境では、滝の全景を見ることが出来ません。滝へと渡る遊歩道の整備が急がれます。

甌穴(おうけつ・ポットホール)と二五穴(にごあな)

トンネル 甌穴

水流や、水流によって回転する小石などの侵食で自然に河床に穿たれた穴を「甌穴」といいます。上総地方では岩盤が軟らかいので、水流によって比較的簡単に穴ができます。この甌穴はトンネルが作られたことにより、水流が集中してできたものです。甌穴の近くにあるトンネルは、上総地方の用水路トンネルに多い、「二五穴」に似た形をしています。これは農地を増やすための「川廻し」(「昔の人々のくふう」参照)と呼ぶ水路の付け替え工事で掘られたものです。ムジナ窯(「昔の人々のくふう」参照)のように軟らかい地質を利用した先人の知恵の1つです。

縄文時代の養老川

養老川

写真の地形模型を見ていただくと、かつての養老川は田淵付近で大きく蛇行していたことがわかります。この地形を研究者は「田淵蛇行跡」と呼んでいます。この時の河原の痕跡は、現在の川の水面よりも30m以上も高い所にあります。房総丘陵の軟らかい地層を養老川が下刻(かこく)し、一方で隆起の激しい房総半島の特徴が生み出した地形で、現在もたくさんの河岸段丘がみられます。

※左の水色が現在の養老川、黄緑色の部分がかつての本流や支流のあとの河岸段丘で、薄緑色の部分が縄文時代の養老川の蛇行の痕跡。

 

※ビジタ-センターは、8000年前の河原の跡である河岸段丘面に建っています。

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